日常と音楽と俺

youtubeでラップしてる寝坊主の日常や音楽探検記。よろぴこ。

終わり

どうも寝坊主です。月曜から夜ふかしも終わり、どう考えても中学生が起きている時間ではない深夜2時半からこんばんは。いかがお過ごしでしょうか(寝とるわ)

えーっと。

この間「少女終末旅行」の最終巻を読みました。6巻。

 

少女終末旅行 6巻(完) (バンチコミックス)

少女終末旅行 6巻(完) (バンチコミックス)

 

 

ほんと素晴らしかったです。今までに読んだ漫画の中でも群を抜いて好きっつーぐらい好きな漫画でした。僕はアニメ加入組だったんですけど、10月から今まで、約7か月、ここまでどっぷりハマった漫画はないです。本当にありがとう。

まだ読んでない人は読んでください。絵柄が苦手っつー人もいるかもだけど、筋書や台詞もゆるいように見えてかなりタイトで、心を癒したりえぐったりしてきます。マジで心震えます。

で。

最近いろんなものが次々に音速かっつーくらいの早さで終わってくんですね。

中学の授業も先週で終わりました。入試も終わりました。あんなに嫌だった部活のお別れ試合も、送別会も、あっという間に過ぎ去りました。

あんなに嫌だったものなのに、何でか知らんけど終わってみれば心にほんの小さな隙間がぽつりと空いたようで、そこから空気が漏れているようで、なんつーか寂しい。

それは「少女終末旅行」の終わりによる空虚感とも無関係ではないとは思いますが。

こんなに終わって、後に何が残るんだろう。

俺らが笑ったり悔しがったり寂しがったりしても、絶対に終わりはきて、何事もなかったかのように次のフェーズが始まる。

何の意味があるんだろう。

少女終末旅行」の終盤で、主人公たちが物資を削ぎ落としながら道を進む描写があるんですけど。

なんか知らんけどそこがめちゃくちゃ悲しくて。今まで大切にしてきたものとかも、真顔で燃やしたりするわけですよ。もう悲しみとかそういうフェーズは通り越してるんですよね。諦め。絶望。この漫画のアニメ版のキャッチフレーズは「絶望と仲良く。」で、作中にも「絶望」って単語が結構出てきます。

この漫画、4巻ぐらいまでは結構のほほんとした感じなんですけど、5巻で最上層に近づいたあたりから(この漫画の主人公たちは終末後の世界で、階層都市の最上層を目指してます)一気に空虚なムードになって、そのギャップがまためちゃくちゃ切ないんですよ。

終わりが見えているのに、何故何かをやらなければいけないのか。

何故何かをやろうとするのか。

ほんと卒業の悲しさとかそういうのじゃなくて(勿論それも少しはありますが)、「終わっていくこと」に対して何か絶望的な匂いというか果てしない空虚感というかそういうものを抱いてしまったんですよ。

でもこの漫画の主題ってのはそこじゃなくて。

「諦め(絶望)というものにどう向き合うか」「諦めたうえでそこから何をするか」みたいなものがテーマなんすよ。個人的解釈では。

6巻の中盤でチト(表紙の黒髪の女の子)が言ってますけど、「いつかすべて終わると知っていても何かをせずにはいられない……そういう何かしたいって気持ちの源みたいなものが心の中心にあって、それが全部つながっているような……」

そう、それとまさに同じ。

しょうがないんですよね、こんなことを考えても。

これから幾つものフェーズが音速の速さでやってきて、始まったかと思えばあっという間に終わっていく。人生ってのはその繰り返しなんだってことくらいは15歳の中坊でもわかります。

いちいちこんなことを考えていても仕方がないんですよね。

「終わり」ってのは当然あるものであって、まあ悲しんだり寂しかったりするとは思うけど、そこを見据えたうえで何をするか。何が出来るか。ってのが重要なんですよね。それが人間の生命の根源なんですよね。多分。

そうじゃなきゃ生きてられないよ。

なんつーかだらだらと書いていたら自分でも何を書いているのかわからんくなってきた。自己分析をしているようで、ただ漫画の主題の解釈に終わったような……。もうやめます。

別にこれからの学校を精一杯楽しむとか、そういうことじゃないんです。その営みを、終わるまで延々と続けていくことが大切なんですよ。……おそらく。僕はそういう解釈です。

まあ長々と書きましたが。そういうことなので(どういうことだよ)。

考えすぎました。もう寝ます。おやすみなさい。「少女終末旅行」、みんな読もう。